「水神」は妖怪ではないのでは?と思われるかもしれませんが、じつは神様とも言えるし妖怪とも言えるという、表裏一体の関係も多くみられます。
ということで、加美町の水神さまの現地調査をしました。湧き水の場所、ため池付近などに見られました。
洞雲寺には、不思議な伝説があります。
昔ここに住んでいたといわれる異人の夫婦(大菅谷と佐賀野)は不老不死でした。敷地内には、血の池、白狐の洞窟、天狗の相撲場、二匹の大蛇の凄まじい伝説もあり、寺の宝は大蛇の牙だそうです。
百万都市仙台の、しかも国道4号線沿いにあり、周りは住宅地で囲まれていながら、そこだけ異世界的な不思議な空気で満ちています。
なんていうと、恐ろしい場所のようですが、そうではありません。
小さな滝も流れる清浄な場所です。なにしろ、奈良時代にここを訪れた僧が「この地は霊地に適す」といって寺を建てたのが始まりでした。
しかしその寺は荒廃し、後に再建。しかし大蛇が起こした火事や山崩れで荒廃し、後に再建。しかし池に潜んでいた大蛇によって荒廃し、後に大蛇が退治されて再建。しかしまた荒廃し……と、この寺は興亡を繰り返したそうです。
いったい、どんな因縁があったのでしょうか?
そもそも異人の夫婦、大菅谷と佐賀野とは何を意味するのか? から始まり、この寺の伝承には想像をかきたてられるネタが満載ですが、とりあえず現地調査で感じたことをまとめます。
①寺宝の「大蛇の牙」は、おそらく「サメの歯化石」でしょう。敷地内には貝化石も見られました。
②最初に寺を建てた僧が「霊地」としたのはうなずけます。ここは谷間というか窪地のようで、周囲から水が流れこみやすくなっています。すると自然に滝や小川や池が形成され、当時は清流の豊かな場所だったことでしょう。
③ただし、水が流れこみやすいということは、大雨が降れば大量の水がおしよせ水害につながるでしょう。大暴れしたという大蛇の伝説は、大雨による土砂災害を表しているのかもしれません。そうすると、寺が何度も荒廃したというのも、因縁というより自然災害が要因になった可能性もあります。東日本大震災のときも建物は全壊し、その後寄付によって建て直したと看板に記されていました。ひょっとすると、地下には断層が走っているかもしれません。
過去に荒廃してもそのたびに再建して現在にいたる洞雲寺は、日本三大山寺の一つでもあります。
散歩するのに気持ちのよいところで、ついでに天狗や大蛇を想像して楽しむこともできます。
(参考:『泉市誌』、洞雲寺内の看板など)
「おかっぱさま」と呼ばれる磯良神社は、川童(かっぱ)氏のご先祖が建てたと伝えられています。姓が川童さんという人間です。川童さんのご先祖は、坂上田村麻呂の東征伐の時に先導をつとめ、以来現在の色麻町にすみついたようです。
「川童」という姓は、泳ぎがうまかったため主君から与えられたという伝承もあります。その特異な姓のため、人間であるのにカッパと同一視され、この地域から様々なカッパ伝承が誕生したと思われます。
川童氏がカッパと同一視された一例として、この地域で守られてきた「胡瓜ルール」があげられます。「7月の大祭で、川童さまに胡瓜をお供えするまでは、胡瓜を口にしてはいけない」というものです。昭和の頃まで残っていました。
また、この神社に関わる話は江戸時代の不思議話短編集である『奥州ばなし』(只野真葛・著)にも登場します。「かつは神」というタイトルです。この中では、中新田のカッパ神社と記されていますが、現地調査をした結果、そのカッパ神社は磯良神社であると断言します。
どんなに晴天が続いても涸れることがなかったという手水池跡、および池から続く用水路跡が確認できたからです。
さて「かつは神」は、ある青年たちが用水路にもぐって遊んでいたら、不思議な世界へ抜け出たという話です。そこには機織り娘がいて「ここは人間の来るところではない」と、三人は追い返されます。さらに「ここに来たことを誰かに語れば、あなたに災いがふりかかるでしょう」と脅されます。青年たちは元の場所に戻れましたが、一人の青年は口をすべらせてしまい、その後亡くなりました。という話です。
じつはこの「かつは神」の中には、「合羽神というお社があった」と書かれているだけで、カッパは一切登場しません。青年たちが会ったのは、機織り娘です。なのに、その後地域に伝わった同じ内容の昔話では、カッパが堂々と登場しています。機織り娘が「おらはカッパだ」と自ら名のるのです。
ここが、おもしろいところです!
おそらく「かつは神」の話が口伝えに広まるうちに、機織り娘がカッパという設定になったのでしょう。なにしろ「おかっぱさま」と呼ばれる神社に関わる話ですから。
そして今では、左写真のような伝河童生息の池、なんていう石碑まで建てられています。もともとここに住みついた川童さんは人間なのに……。
このことは、わたしたちがカッパという妖怪を好いている、心のどこかで存在して欲しいと思っているということを物語っているのではないでしょうか。(参考:『色麻町史』『宮城県史』『中新田の昔話』『奥州ばなし』)